硝子作家 垣内信哉さん・島根県大田市

工房、実験室、秘密基地

東西に細長い島根県の「ちょうど真ん中あたり」と言われる、大田市の国立公園三瓶山。垣内信哉さんの硝子工房は、そんな三瓶山まで車で約20分の緑豊かな田園風景の中にある。すぐ近くを小川が流れ、遮るもののない空は広く、海も近い。時間がゆったりと流れているように感じる。

この場所に工房を構えて約1年。元は玉ねぎを干すのに使われていた倉庫で、垣内さんは日々、硝子作りに打ち込んでいる。窓の外には緑が揺れて、棚に並ぶ硝子作品に自然光が差し込む。垣内さんはふらりと流れるように動きながら、真剣な顔で吹き竿の先を見つめていたかと思えば、なにか思いついたのかチョークで床にメモをとる。工房と実験室と秘密基地が一つになったような、そんな場所だ。


「俺もこれをつくりたい」

「夏は熱くて死にそうだけど、この工房は快適ですよ。なんせ、壁あるし」。垣内さんはニヤリと笑う。それもそのはず、前の工房には壁がなく、しかも窯も屋根もすべてが垣内さんの手作りだった。京都出身の垣内さんだが、硝子と出会ったのは島根。島根にいる知人の元へちょくちょく遊びに来ていた頃、たまたま民藝品や工芸品のセレクトショップ【objects】へ行ったことが、硝子作家への入り口になる。もともと美術は好きだったが、硝子には「ちょっと興味がある」程度だったと言う。

その時、店内に並ぶ硝子作家【安土忠久】さんの作品に強烈に惹かれ、「俺も硝子をやりたい」と思った。当初は硝子の学校へ行こうと考え調べたりもしたが、どうせなら一番好きなものを学びたいと考え、安土さんの元へ。「電話では見学させて下さいと、誤魔化して会いに行きました(笑)」笑いながら語る。直接安土さんに「硝子を教えて下さい」と直談判するも、きっぱりと断られた。ただ「一から十までは教えられないけれど、本当にわからないことがあったらなんでも聞きなさい」と言われ、さらに「自分でやってみたら?」とアドバイスを受ける。


垣内流・硝子の学び方

それでもまだ「学校に行く」という考えもあったため、学校の資料を取り寄せたり見学に行ったりもした。そしていろいろ動いた結果「学校に行くより、今あるお金で窯を作った方がいい」と、独学の道を決意し、京都の家にあった田んぼに手作りで窯をつくった。窯作りももちろん独学。インターネットが教科書で、YouTubeが先生、もちろん本や資料なども片っ端から調べた。情報がたくさんある現代だからこそなせる学び方だが、情報があり過ぎると逆に必要なものが探しにくくもなる。垣内流の戦略はというと「とりあえず、気になることは全部やってみる」だった。硝子作家の窯の写真を見つければ、レンガの数を数えて参考にする。「どんなに小さな写真からでも情報は入ってくるんで」名探偵みたいな台詞を垣内さんは言う。

垣内流・硝子の学び方、もう一つ大事なのが「人に聞くこと」だ。硝子作家の個展会場に行っては「窯どうやってるんですか?」と質問をした。「硝子作家はみんな優しくて、何でも快く教えてくれるんです」と、なんだか誇らしげに語る垣内さん。学校の教科書も買ってみたけど、その通りにいかないこともある。「結局本をみても、どんな温度帯で、どんな温度設定でやってるかは分からないじゃないですか。だから聞きます」。作家さんにきいてみると、本には書いてない情報もたくさん得られる。「硝子作家がいたら何か聞かないともったいないと思ってます。最初は聞いてもわけわからなかったけど、今は少し聞いただけでだいぶわかるようになってきました」と嬉しそうだ。

硝子作りに一直線な垣内さんだが、はじめたての頃、やめようかなと考えたことが一度だけあった。理由は「窯の温度が上がらん」ことだった。田んぼに窯があった頃、何度やっても温度が上がらない。なんとなくこうすればいいのかな?というのは分かっていたけど確証は無いし、そのためにはレンガを崩して土台から作り直す必要がある。でも「やめるなら最後にそれだけ試してみよう」と思い切ってやってみたところ大正解。窯の温度を上げることに成功したという。垣内さんの話を聞いていると、なんだかそんなことが多いように感じて「硝子を続けろと、いうメッセージなんじゃないですか?」と言ってみると、垣内さんは「神のお告げ的なやつですか(笑)」とケラケラ笑った。


京都と島根、硝子と酒

硝子の性質上、窯に火をつけたら毎日作業を続ける必要があるため、一般的な仕事やバイトはできない。そこで出会ったのが島根の酒蔵での仕事だった。冬季の間の約半年間は島根の酒蔵で働き、残りは京都へ戻り窯で硝子を作る、二拠点生活が始まる。そして窯で硝子を作り、出来たものを島根のobjectsへ持って行っては、店主からアドバイスをもらう。その繰り返しを約2年ほど続けた。

はじめて作ったコップを見せてからしばらくしたある時、ふいに店主が沖縄の古いコップみせながら「このサイズ感で、もしよかったら作ってみない?」と言った。人のオーダーに応えるどころか、自分のイメージしたものを形にすることすら、まだ探り探りの時期。垣内さんは平然とした様子でそのコップを京都へ持って帰り「絶対形にしよう」と決意する。京都で作っては、島根へ持っていく。再びこれを繰り返した何回目かの時、はじめて「どうする?売る?」と言われた。


「そこに家があったから」

本格的に島根で暮らすことを決めた垣内さん。火を扱ったり、窯をつくるスペースが必要だったりと条件が多く、家探しは難航した。窯が作れる家さえあればそれで良くて、住む場所にこだわりはなかった。酒蔵のあった安来市からはじまり、松江市や出雲市まで候補を広げるがなかなか良い物件がない。敷地の広い家は多いが、蔵や納屋があると自由に窯を作れない。京都にいた頃、田んぼの窯へは車で10分程度かかり、火を扱う上で不安だったため、今度は家と火が近いことも必須条件だった。そして出会ったのが1つ目に住んでいた大田市の家。大家さんに火を使うんですけどと言ったら「やればいいよ」と言ってもらえた。あらたに庭に作った窯で約2年間硝子作りを続けた後、2021年の結婚を機に同じ大田市にある今の工房へ。理解して支えてくれるパートナーと、雨風をしのげる工房、そして念願の「自作じゃない窯」を手に入れた。

見様見真似でレンガを積んで作った、田んぼの中の小さな窯から始まった垣内さんの硝子人生。「壁があるだけで快適」ぽろっと言ったその言葉の意味が、ひしひしと伝わってきた。



「好き」の理由

この町の好きなところを聞いてみる。「思ったことを言わないとか、人の裏とか表とかってのが苦手で。大田の人はなんでも言ってくるから性に合ってるんです」垣内さんはそう言った後「あと、山が綺麗だなと思いました」と窓の外に目を向けた。「地元の京都は杉とかヒノキの植林が多くて、一年中山の色があんまり変わらんのです。でもここはすごい。雑木だから山も森も色とりどりで、春とか特に綺麗。海もあるし」子どものように嬉しそうに話すのを聞いて、ふと気付く。島根は自然が美しいと聞くことはよくあるが、垣内さんにはもう少し細部が見えている。なぜこの町が性に合うのか、なぜ山を美しいと感じるか、自分がどこに惹かれているか、その理由も理解しているのだ。自分の中の感覚を分析するような視点は、創作にも生かされているのかもしれない。豪快そうで繊細。頑固そうで素直。適当そうでちゃんとしている。なんだか掴みどころがないところもまた、垣内さんの魅力なのだと気づく。



硝子で生きるということ

大田市に来た年、まだ酒蔵でバイトをしていた垣内さんに「これだけの数の硝子が欲しい」とオーダーが入る。最初は「バイトがあるから無理や」と思ったが「違う、バイトをしている限り無理や。硝子が中途半端になる」と奮い立った。それがきっかけとなり、バイトをやめて硝子一本で生きて行く覚悟を決める。当時は取引先もなく、しかもちょうど世間ではコロナウィルス感染症が流行りだした年だった。周りからは「今はバイトは続けとけ」と言われたが、決心は変わらなかった。そしてその時「東京の百貨店であるイベントに出てみない?」と声がかかる。百貨店の催事はたくさんの人に作品を見てもらうことができる。「本当に運がよかった」と垣内さん。在廊が条件だったため人前に立つのは気が引けたが、やってみてから考えようと、挑戦することにしたという。



オーダーとオリジナル

「こんなコップ作れる?」「これくらいのサイズのお皿が欲しいんだけど」そんなオーダーを受けることも多い垣内さん。オリジナルももっと作りたいですか?と尋ねると「結局オーダーがきても作るのは自分で、自分のフィルターを通すから、オーダーもオリジナルみたいな気持ちです」と答えた。逆に「こんなのありますよ」と提案することもあり、「そのシリーズでこうゆう形があればいいと思うよ」などとアドバイスをもらうと挑戦したくなると言う。「こと細かにどうしろこうしろ言われたら、嫌だって言うかもしれないですが(笑)。そういう性格がバレてるのか、ある程度任せてくれる人が多くてありがたいです」と笑った。


0から1

これから作ってみたいものを聞いてみると「今は数物が多いけど、アートピースもちょこちょこ作りたいです。花器とかは自由に作れるから楽しい」心底ワクワクしている、という顔をする。「サイズを揃えたものを作ろうと毎日やってると疲れてくるから、気分転換に花器を作ったり。数物の技が花器に応用できることもあるし、逆に自由に作るものからヒントを得て数物に活かせることもあります。これだけしか作りませんってことじゃなくて、気になることはなんでもやっていこうと思ってます」穏やかだけど、きっぱりとした口調で語る。

「これでいけるかな?」と試作してる時が一番楽しいと言う垣内さん。思い描いたイメージを作り出す瞬間、0から1ができる瞬間が好きだと言う。「もし思い描いてたものと違うことになっても、こっちの方がいいかも?と発見があるのも、また楽しいんですよね」。勘を磨き、感覚を信じ、自分の手と足で一つひとつ手繰り寄せるように、硝子の道を進んできた垣内さん。カッコつけたことを言うのもするのも、どうやら好きじゃなさそうだ。でも、そんな飄々としたイメージの奥には間違いなく熱いものがあり、それに少しふれられたような気がする。

ご自宅前でご家族と^^


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⁡垣内信哉 @shinyakakiuchiglass

⁡1986年 京都生まれ

2014年 独学にてガラス製造を学び京都府にて築窯

2019年 島根県大田市に移転し現在に至る


⁡【岩佐昌昭・垣内信哉 二人展】

会期 : 2023年3月18日(土)〜28日(火) *会期中無休

平日  12:00-19:00

土日祝 11:00-19:00

場所 : 工藝 器と道具 SML
https://sm-l.jp/

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文:井上 望(sog Inc.) 写真:山本 加容